氣力強化で「楽」になれる

このような状態に効果があります。
「やる氣・元氣が出ない」「疲れやすい」「悩みがち」「仕事が苦痛」「自信が持てない」「HSP・エンパス」

詳しくはこちら

「快楽原則」と「現実原則」を知り心を楽にする

元氣楽塾

快楽原則とは?

心理学者フロイトの提唱する、心的機能を支配する基本原則の一つです。

快感原則、快 ー不快の原則ともいいます。

人は、不快を避けて快を求めるものという考え方。

人の心は、原我(エス)・自我(エゴ)・超自我に分かれます。原我が本能や欲に近い部分で、超自我は、道徳心や理想など後天的に作られた要素になります。自我はその2つの調整機能です。

原我はこの快楽原則に支配されていると言われています。

現実原則とは?

快楽原則に従って行動したり手にいれようとすると、法律違反になったり人から嫌われたりする場合が多くあります。

そうなってしまえば、損失が大きくなります。

なので超自我の部分により抑え込むか、自我によって問題なく手にいれる方法を用います。

 

例えば公園で、美味しそうなアイスを食べている人を見かけます。

原我→「今すぐ食べたいからあの人から貰う(奪う)」
超自我→「あれは人の物だから欲しくない、貰おうとかとんでもない」
自我→「近くのコンビニで同じものを買って食べよう」

原我が快楽原則で、超自我と自我が現実原則になります。

(こうして見ても、自我は優秀で必要な部分だとわかりますね)

快楽原則と中島らも

人間は原則的に快楽に則って生きている

私は中島らもさんの本の大ファンで、20代の頃はバイブルのように読み漁っていました。

らもさんの本で知ったのが、「快楽原則」という言葉です。

アマニタパンセリナというフィクションのエッセイで書かれていました。

それと似たような感じの言葉で「人間は原則的に快楽に則って生きているように感じる」という類の内容を見ました。これを私は快楽原則と受け取り読み進めていましたが、快楽原則+現実原則といった意味に読みとれました。

 

どの本かは忘れてしまったのですが、このような例えが書かれていました。

例えば、戦時中に食糧倉庫の見張りをしていたとします。

多くの人は立場を利用して、こっそり食料を盗み、自分や身内の腹を満たしていました。でもある人は、決して食料を盗むことなく勤めました。その結果餓死してしまいました。

人々は、あの人は立派だ、偉い人だ、と賞賛します。

でもそれは違うのだと。

その人は、餓死するよりも食料を盗む事が不快だったので盗まなかったと。

 

つまり、食料を盗むくらいならば、死んだ方がマシだ。という氣持ちからの行動なので、立派でも何でもないという解釈です。

この考えに私ははっとしました。

人は「楽」を選んでいるだけ

私は昔、自分自身が大嫌いでした。

嫌いで嫌いで大嫌いで、自分が嫌いすぎて、自分アレルギーで死ぬかと思う程嫌いでした。まぁこんな体験をしているからこそ、セッションで人の苦しみを分かる事ができるのだと思います。

それが、20代後半あたりでふと、自分は自分でいいのでは?と、憑き物が取れたかのように治りました。この要因の1つが、らもさんの「人間は原則的に快楽に則って生きている」という言葉です。

自分嫌いが治ると、本当ーーに楽です。というか、自分嫌いだと座っているだけでも辛いです。普通に楽に座るって、こういう事なんだと思いました。

自分が嫌いだと、周囲の言動もいちいち自分を責める材料にします。私の場合は大体この2つのパターンに分けていました。

立派な人を見た時 → あの人は凄いなあ、それに引き換え私はなんてダメなんだ。
あんまりな言動を見た時 → あの人があんまりな事をするのは私が居るからなんだろうな。

といった感じです。

今ならばツッコミ所満載な思考ですが、当時は素でこう思っていました。

それが、

立派な人 → あのような行動をするのが楽だからそうしている
あんまりな言動 → こういう風にした方が楽なんだな

と、相手が自分で選択しているだけだと知り、自責の材料に使わなくなりました。

無理して立派にならなくていい

これにより、選択の自由が出来ました。

それまでは、自分はこんなにダメなのだから、せめて「いい人」にならなければと心に制限をかけていました。

でも、「いい人」になりたいのは「楽」だからであって、楽でなければならなくてもいいわけです。

さらに、自分を責める事だって、楽だからそうしていると知りました。自分嫌いにしてもそうです。当時は自分を受け入れるよりも責める方が楽だからそうしていたわけです。

正確には、そうした方が楽だと思い込んでいた、勘違いしていた、という事ですが。

なので、立派な自分を自慢する人に対しても、そうする方が楽だから(褒められたいも含むのでしょうが)そうしているのだろうと、話半分に聞けるようになりました。

立派になるのが、総合的に楽ならばそうすればいいし、そうでもないならやめればいいんですね。

というより、

言われなくてもその原理の元で、人は動いています。

そう考えると、心が楽になりませんか?

まとめ

今苦しいと感じている方は、この考えで思考を進めていくと何か解決策が見えるかもしれません。

嫌な状況から離れられないのは、実は離れる事への不快が、そのままでいる快に勝っている事でもあります。

この快と不快が思い込みでないのか見てみると、すっと離れられるかもしれません。

もしくは、実はそんなに悪い状況でなかったと氣が付くかもしれません。

 

※ らもさんはカネテツのCMに関わっていたので、ちくわのアイキャッチ画像です。

タイトルとURLをコピーしました